« ベッドのショールーム見学 | メイン | 実行委員のお願い »

豊臣秀頼、淀殿ら自刃の碑

 慶長20年(1615)5月7日、大阪夏の陣の最終決戦が大阪城南方の茶臼山・岡山
付近で行われた。

豊臣方の主兵力がこの戦いで壊滅。勝負はほぼ決した。

翌日、淀殿と、豊臣秀頼をはじめとする主従約30名が自刃した。

その場所は、大阪城内の山里曲輪の一角にあった矢倉の中らしい。

現在の山里丸には、矢倉はなく、桜や、ハゼの木が生い茂り、その中にひっそりと自刃の碑が立っている。

今日はちょうど命日にあたり、花をかざってあった。

20070508-003.jpg


トクラホームページ

防護服.COMホーム

ブログランキング・にほんブログ村へ

コメント (4)

榎並の住人:

はじめまして。

 文中の“淀君”と云う言葉の~君と云うのは、遊女を指す言葉遣いで(例江口の君)、徳川方が大坂方を揶揄する為によく遣われた様です。

 正しくは、“淀殿”または、“淀の方”とすべきです。

トク:

はじめまして、榎並の住人さん

そうだったんですか。まったく知りませんでした。

君は人に対する敬称のように思っていました。

さっそく淀殿に訂正させていただきました。
 

早速お目に止り光栄に存じます。

以前、NHKの大河ドラマ“功名が辻”で脚本家の大石静氏は、西田俊之扮する徳川家康にのみ“淀君”と云うセリフを与えて居ましたが、やはり留意して居たのかも知れません。

処で、ご存じだとは思いますが、JR沿いの桜並木が、外環状線の工事が始まる為、開花後に伐採されるそうです。

是非、ご愛用のカメラで記録される事をお願いします。

榎並の住人改め、jotoゆめこい

トク:

こんばんは、コメントありがとうございます。

桜並木が伐採されるのですか。
それは残念ですね。

写真にして残しておかないといけませんね。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2007年05月08日 20:17に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「ベッドのショールーム見学」です。

次の投稿は「実行委員のお願い」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。